抹茶とあいやの歴史
中国から日本へ。
そして今、日本から世界へ
中国から日本へ。
そして今、日本から世界へ
12世紀に中国から日本へ伝来し、その後茶道として発展しました。
室町時代には禅僧によって茶の湯が広められ、茶道が芸術として栄えました。江戸時代には茶の会や茶室が庶民にも浸透。19世紀には製茶技術が進み、抹茶が一般に普及しました。現代では、伝統的な風味と健康効果が評価され、世界的に注目を集めています。
西尾の抹茶とともに歩んだあいやの歴史です。
「お茶」は、中国で紀元前2700年ごろ始まったとされています。当初は漢方薬の一種として飲み始められたそうです。
遣唐使や留学僧たちが唐よりお茶の種子を持ち帰ったことにより日本に「お茶」は伝えられました。
当初は日本でもお茶は医薬品として扱われ、貴族や有力層のみが口にしていました。
お茶は平安時代の初期、最澄らの遣唐使によって日本に伝わりました。
日本で本格的にお茶の栽培が始まったのは平安時代の末期です。
当初、お茶は医薬品として貴族階級に用いられていましたが、次第に庶民にも広がり、お茶の栽培は北九州地域を発端として各地に広まっていきました。
1191年に、臨済宗の開祖となった栄西が中国から帰国した際、茶の種を持ち帰るとともに、茶の粉末を湯の中にいれてかき混ぜる抹茶法を伝えました。
時の将軍、源実朝に一杯のお茶と茶の効用を述べた「喫茶養生記」を献上するなどして お茶を武家社会にまで広めました。
南北朝時代には抹茶は一般階級にも普及しました。そして、室町幕府から安土桃山時代に村田珠光(むらたじゅこう)、武野紹鴎(たけのじょうおう)、千利休らによって新しいお茶の礼式がつくられ、「侘茶(わびちゃ)」として大成しました。その後、武士階級に普及し、現在の「茶道」として完成されていきました。
(株)あいやのある愛知県西尾市でお茶が栽培されるようになったのは、1271年、実相寺の開祖、聖一国師が宋から持ち帰った茶の種を境内にまいたのが始まりとされています。明治時代には、矢作川の豊かな水と肥沃な土壌、この地方の温暖な気候を活用して抹茶の栽培が本格化し、今日では日本有数の抹茶生産量を誇るまでになりました。
西尾で本格的にお茶の栽培が始まったのは1872年(明治5年)頃になります。このころ、日本は鎖国を終え、海外へ生糸と茶を輸出していました。そんな社会背景のなか、西尾の地でも茶をつくる気運が高まり、多くの者たちが茶業に志をもちました。そして杉田愛次郎や杉田鶴吉らが稲荷山一帯の茶園を開墾しました。これがあいやの原点です。
西尾のお茶の特徴は、最初から玉露に代表される上級茶の生産を目標に掲げていたことです。最高のお茶を作りたい。それは西尾の地に生きる人の強い思いでした。 そして1888年、初代杉田愛次郎は、茶と藍製造の杉田商店を興しました。
19世紀半ば日本が開国した際、主な輸出品は生糸と茶でした。そのような背景の中、水質、土壌、気候という茶を作るのに適した自然環境をもつ西尾地域でも、茶業の発展を図る動きが起こっていきました。このような時代背景の中で、1888年、初代杉田愛次郎は茶と藍製造の杉田商店を興しました。
明治初期に起こった西尾茶の生産の特徴は、当初から上級茶の製造を目標としたことです。のちに抹茶の原料となる碾茶生産が大きく育つ素地はこのころから芽生えていました。
1904年に上町(あいや本社のある地区)の茶園主を中心に幡豆郡製茶同志会が組織されました。品評会や技術向上のために製茶伝習会を開催するなど製茶事業への取り組みを行っていきました。そして上級茶の中でもさらに技術と品質を高め、販売先を拡大していきました。やがて販売先は県内だけではなく、次第に関東一円から関西へと広がっていきました。
杉田商店を含め、西尾地域の茶業者は商品価値の高い碾茶の生産をめざし、茶の樹に覆いをかけて育てる覆下(おおいした)栽培技術の向上に取り組みました。
1922年、合資会社あいや茶店が設立されました。二代目愛次郎が社長に就任すると、明治初期から続いた藍の製造・販売から茶業へ一本化する体制を整え、製茶技術の向上や販路拡大に努めました。このころ、西尾茶は玉露から本格的に碾茶に移っていきました。
茶業への一本化は、さまざまな面で組織を強化しました。新社屋の建設、製茶工場の増設を行い生産性は拡大していきました。そして三河式碾茶機が考案された1930年代以降、西尾は抹茶の産地として飛躍的な発展をとげ、生産量も急増しました。
大東亜戦争の末期、茶園は食糧となるイモや麦などの畑へと転換することになり茶業者は大打撃を受けました。また、1944年12月に東南海地震、さらに1945年1月、三河地震が発生しました。西尾市は震源に近く震度7クラスの地震に襲われ、社屋は全壊の被害を受けました。1945年8月、終戦を迎えました。しかし西尾の茶業者たちはその苦難の中でも歩みを止めることはなく、ただよい茶の生産に努めました。そして4年後、取引き茶園面積は70ヘクタールを超え、碾茶製造は安定的に拡大しました。
1950年、日本復興の気運が高まる中、有限会社あいやが設立されました。三代目愛次郎が社長に就任し、増産体制に力を入れました。
1960年頃、新規マーケットの開拓に挑戦しました。飲むための抹茶という固定観念を外し、新たな活路を見出しました。抹茶を食品加工原料として販路拡大を目指したのです。
三代目愛次郎は愛知県豊田市(旧下山村)の山中に、碾茶園を開きました。そして、当時誰もが不可能としていた日本初の有機栽培への取り組みを始めました。害虫や雨や日照りによる被害で、何度も茶園崩壊に見舞われました。様々な試練を乗り越え、人にも自然環境にも優しい有機抹茶は四代目愛次郎のもとで実現しました。
日本全土に販路を確立し増産体制を整えた後、1983年に(株)あいやは北米への輸出を開始します。この年、世界に対して日本の抹茶文化の発信が始まったといえます。
近年、日本食は健康ブームの後押しもあり世界各国で受け入れられています。同じように、日本茶、抹茶の魅力も広く認知されるようになりました。すでに「MATCHA」という言葉は世界共通語ともいえるようになりました。中国を起源とするお茶も、現在では日本から世界各国へと輸出されるようになっているのです。
(株)あいやは、抹茶の評価基準を人の感性から科学分析へシフトさせることを考えました。そして1985年、品質管理部を開設しました。これにより抹茶の品質を客観的に数字で示すことを可能にしました。時代に先駆けたこれらの客観的データ管理が、輸出や加工食品分野の市場拡大に大きく寄与することになりました。
創業100周年の1989年、(株)あいやは原料仕入会社の(有)明芳園製茶を設立しました。この年、四代目杉田愛次郎が社長に就任し、原料生産者とともに安定した生産とより一層の品質向上に取り組みました。
1997年、JONA(日本オーガニック&ナチュラルフーズ)の有機栽培認証を取得。絶え間ない努力と試行錯誤の結果、不可能といわれてきた有機碾茶を成功させました。その後、2001年に有機JAS認証を取得しました。
2001年、(株)あいやはニューヨークにアメリカ現地法人AIYA America(2004年ロサンゼルスに移転)を設立しました。また、オーストリアのウィーンにはヨ-ロッパ支店を開設しました。
2002年、アメリカの有機認証と、ヨーロッパの有機認証を取得しました。また、コーシャー(ユダヤ教の食べ物に関する規定)認定も取得しました。
同2002年、生産段階の全て(設計、開発、製造、据付及び付帯サービス)を対象に品質保証をするISO9001を取得しました。製造、サービスはもちろん、設計や開発段階から品質を保つ仕組みができていることを証明しました。
アメリカ現地法人に続き、2003年ウィーン(オーストリア)にヨーロッパ現地法人AIYA Europe GmbH(2008年、ハンブルク(ドイツ)に移転)を設立しました。
2005年、中国浙江省に現地法人、浙江愛雅茶業有限公司(2013年上海に移転)を設立しました。これにより、アメリカ・ヨーロッパ・アジアの各大陸にそれぞれ拠点ができました。
2005年、新品質管理部を発足し、新システム導入により、安全性の向上を実現させました。一般生菌、大腸菌群、カビ、酵母、成分分析など、お客さまからの要求項目を網羅した規格書をご提供しています。
2007年、AIBフードセーフティ監査において抹茶精製工場、抹茶製造工場ともに最高評価の「Superior」を達成しました。この監査は、世界の様々な法規をもとにAIBが独自に作成した「AIB国際検査統合基準」にのっとって指導・監査が進められます。この採点結果および、証書により、安心して広く世界の皆様に抹茶をご利用いただいております。
2007年、(株)あいやは経済産業省「元気なモノづくり中小企業300社」に選出されました。また、同年11月には第41回グッドカンパニー大賞・優秀企業賞を受賞しました。
2008年、(株)あいやはISO22000(食品安全マネジメントシステム)の認証を取得しました。客観的な安全基準の認証を受け、お客様へ安心を届けることができました。
(株)あいやでは、二次加工をしても色の鮮やかさを維持できる抹茶の開発を進めていました。それは抹茶業界における長年の夢でした。長年に渡る研究の結果、2009年、退色防止油脂抹茶「グリーミナルシリーズ」が誕生しました。
2011年、(株)あいやではスイーツブランド「西条園(さいじょうえん)」を立ち上げました。お客様により一層抹茶に親しんでいただくきっかけを提供するべく「わくわく、ほんもの、したしみ」をコンセプトに抹茶スイーツの開発と販売を始めました。
2014年、(株)あいやはFSSC22000認証を取得しました。これにより先進国への輸出に更なる拍車をかけられる体制にすることができました。
(本社工場と米津工場での抹茶の製造について取得。2017年より粉末茶の製造を認証範囲に追加。2018年に京都工場で取得。2023 年より、砂糖混合品の製造を本社工場と米津工場の認証範囲に追加。)
2014年、(株)あいやは経済産業省「グローバルニッチトップ企業100選」に選出されました。「抹茶」の分野において国際的に高いシェアを確保し、良好な経営を実践していることが評価されました。
2014年、イスラームの教えに基づき許可された食品であることを保証するハラール認証を取得しました。
2016年、非遺伝子組み換え食品であることを示すNon-GMO認証を取得しました。
2016年、製品に小麦・ライ麦・オート麦・大麦などのグルテンが含まれていないことを保証する、グルテンフリー認証を取得しました。
2016年、(株)あいやは100年経営の会「第1回 100年企業顕彰 中部経済産業局長賞」を受賞しました。日本の創業100年を超える長寿企業としての経営理念と、地域内の他企業の範となる優れた優良企業として評価されました。
2017年より継続して、より持続可能な農業を通して「自然環境や生態系、天然資源」「農業事業者の権利や生活向上」を守る制度である、レインフォレスト・アライアンス認証を取得し、認証茶園から調達した茶の製造加工を行っています 。
(本社工場、 第二米津工場、明芳園で取得。)
2017年、バンコク(タイ)に現地法人AIYA Thailandを設立しました。
2017年、京都府・宇治田原町にあいや京都工場を設立しました。
2017年、(株)あいやは抹茶の魅力を五感で存分に楽しんでいただける施設として、抹茶ミュージアム西条園「和く和く」をあいや本店(愛知県西尾市)の敷地内にオープンしました。また、自社工場で碾かれた抹茶を使用したドリンクやスイーツを提供する、西条園抹茶カフェを中村区笹島(名古屋市)「グローバルゲート」にオープンしました。
2018年、(株)あいやは経済産業省「地域未来牽引企業」に認定されました。地域の特性を生かして高い付加価値を創出し、地域の経済成長を力強く牽引する事業を展開する企業として認定されました。
2019年、(株)あいやはあいちサービス大賞「特別賞」を受賞しました。抹茶を五感で楽しめる「体験型の抹茶専門ミュージアム」を開設し、地域ブランド「西尾の抹茶」のPRに大きく貢献したことが評価されました。
2020年、抹茶の海外売上が国内売上を上回りました。ロサンゼルス(アメリカ)・ハンブルク(ドイツ)・上海(中国)・バンコク(タイ)にも海外法人を置き、日本国内のみならず世界各地においても抹茶・緑茶を積極的に販売したことが実を結んだ結果です。
2021年、春の叙勲にて杉田愛次郎(4代目)が、旭日小綬章を受章いたしました。
地元商工業の発展に貢献した功績が表彰されました。
2021年、中村区名駅(名古屋市)「大名古屋ビルヂング」に西条園抹茶カフェを、西区則武新町(名古屋市)「イオンモール ナゴヤノリタケガーデン」に西条園抹茶カフェをオープンしました。また、2023年には豊川市(愛知県)の「イオンモール豊川」に西条園抹茶カフェをオープンしました。
2022年、さらなる企業価値向上と持続的な成長を実現するため、海外現地法人や抹茶製造メーカーである(株)あいやの管理を行う、「(株)あいやホールディングス」を設立しました。