西尾とあいや
西尾の地がお茶の生産に目覚めたとき、
そこには気概をもったあいやの創業者がいました。
西尾抹茶の始まり
お茶は平安時代の初期、最澄らの遣唐使によって日本に伝わりました。
日本で本格的にお茶の栽培が始まったのは平安時代の末期です。
当初、お茶は医薬品として貴族階級に用いられていましたが、次第に庶民にも広がり、お茶の栽培は北九州地域を発端として各地に広まっていきました。
鎌倉時代になり、西尾の地にもお茶が伝わってきました。1271年に実相寺の開祖である高僧聖一国師が宋から持ち帰った茶の種を境内にまいたのが西尾茶の始まりとされています。
多くの同志と共に杉田愛次郎らが茶園を開墾
西尾で本格的にお茶の栽培が始まったのは1872年(明治5年)頃になります。このころ、日本は鎖国を終え、海外へ生糸と茶を輸出していました。そんな社会背景のなか、西尾の地でも茶をつくる気運が高まり、多くの者たちが茶業に志をもちました。そして杉田愛次郎や杉田鶴吉らが稲荷山一帯の茶園を開墾しました。これがあいやの原点です。
西尾のお茶の特徴は、最初から玉露に代表される上級茶の生産を目標に掲げていたことです。最高のお茶を作りたい。それは西尾の地に生きる人の強い思いでした。 そして1888年、初代杉田愛次郎は、茶と藍製造の杉田商店を興しました。